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ある時、ある場所、あの人

日頃の出来事、ふとした考えを誰かに伝えるための便箋のようなもの

命の比率・重さという話

1. 何のために自分は生きているのか

www.excite.co.jp

自分の考えは、「結婚は中目標の一つであり、最終目標ではない」

 

上の記事にもあるように、誰にも平等に訪れる「死」こそが終着点と考えている。自分が終着点に達した時、「生きてて良かった」と思える要素の一つが結婚である。

 

根本的に「何のために自分は生きているのか」と考えた時に、自分が人や社会に必要とされていて、それに自分の全てを注ぐことが重要だと考える。

その対象が特定の相手なら「結婚」などの人間関係、国や不特定多数なら「仕事」、自分なら「趣味」が生きることの意義だろう。

 

大事なのは、身の回りの世界に対して、どの程度自分の存在が重要なのかということ。世界というのは「家族」かもしれないし、「国」や「地球」かもしれない。

 

すなわち、相対的な意味での「命の重さ」と言える。

 

2. 自分の濃度という考え方

「命の重さ」という言葉はよく耳にするが、私の言う「命の重さ」は意味が違う。正しく言い換えれば、「世界に対する自分の比率」と言ってもいい。私としては「濃度」の方が的確なのだが、うまく表現できない。

 

ここでいう世界とは"認識できる範囲"または"影響を及ぼせる範囲"である。国のトップであれば、"世界"というのは国であり、文字通り全世界を相手にしている。しかし、一国民であれば、"世界"は家族、親戚、仕事などで、その広さは社会的地位に相関しているといえる。

 

「命の重さは絶対的で個人による差はない」という考え方もわかるが、国のトップと大学生とで同じなのかと言われると、多少の違和感を感じる。そういった点からの「比率」である。

 

このような観点から考えると、人口の増加は自分の価値を薄めているように感じてしまう。

 

3. 人口増加について

現在、日本では人口減少が大きな問題であるとされているが、私は人口減少がどうして問題になっているのかがわからない。

 

限られた土地、限られた資源と言いながら、人口は増加させ続けたいという考えは理解に苦しむ。科学技術の進歩によって、一定の空間及び資源あたりの人口を増やすことは可能だが、どこかで飽和を迎えるような気がする。

 

少子高齢化社会となった。言い方は悪いかもしれないが、今までの方が適度に間引かれていて良かったのではないかと思ってしまう。

 

これから先は様々な職業が自動化の波にさらされる。そうなると、さらに人口を増やす意味が少なくなってくるだろう。

gendai.ismedia.jp

(論文の原文はこちら。72ページと大きめのPDFなので注意)

 

労働力の観点からも、人口を制御する必要性があるといえる。

 

4.科学の進歩と命の重さ

科学技術の進歩によって人類は生きやすくなったけども、逆に言えば死ににくくなった。栄養状態や生活環境の改善によって寿命が延び、治療や延命の技術も発展した。しかし、労働力となる年齢はあまり変わらず、その結果として高齢者の割合が増えた。

 

そう遠く無い将来、遺伝子さえ提供すれば、人間は妊娠せずに子供を産めるようになり、母親は”出産”の苦労を知らなくなるだろう。苦労なく得た子供に抱く愛情は、今のそれとどのように違うだろう。今よりも簡単に、躊躇なく子供を見捨てるようになるかもしれない。

 

むやみやたらな科学技術の適用は、命を軽くしているように感じる。

人間の命の重みは、苦労があって、限界もあって、そうして生まれるのだと思う。

 

5.まとめ

人はどれだけ自分が必要とされているかを重要視する。人口の増加は"世界"を広くし、人の存在価値を下げる原因になる。日本がそういった方向に向かうのであれば、早々に自分の価値を見出し、自分の影響力を自覚する必要性が出てくるのではないだろうか。