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ある時、ある場所、あの人

日頃の出来事、ふとした考えを誰かに伝えるための便箋のようなもの

資産運用について話しあった

先日の記事の続き。

bruitblanc.hateblo.jp

次回顔を合わせた時にじっくり聞いておきたいこととして書き留めておく。

私はわがままな人だという話 - ある時、ある場所、あの人

話しあってきた。

 

結果、私がどう思っているかというと、「投資や積み立てといった資産の運用は必要。そして定期的な見直しが必要。」

 

そして、どうにも育ってきた環境による違いが一番大きそうだという結論。

 

私の家はどちらかといえば裕福な方(比較対象はいないが)で、あまりお金について苦労はしてなかった。私がアルバイトしていないこともそうだが、お金に対して不自由を感じた経験がない。将来のことについても、あまり不安に感じない。

 

しかし、件の人は親のお金の貯め方使い方を見た結果、私よりも貯金や運用に対する目が厳しいよう。

 

そうした結果、少し価値観の違いとして現れてしまったようだ。

 

そういうわけだから、私には年齢を区切りとした貯金の目標はなく、ただ漠然と貯金のことを考える。

 

価値観の違いと言われてしまえばその通りだが、おそらくこの辺りは私が就職することで何か変化が現れると思う。入社すれば社員預金などの形で積み立てるだろうし、一人暮らしすれば生活におけるお金の重みが違ってくる。時間が解決するわけではないが、少し様子見をする意味はある。

 

 

しかし、納得いかない部分もある。『定期的に見直す』とはどの程度の期間を指すのだろうか。

その人は、「買い物するときに比較するようにサービスを比較する」と言った。しかし、買い物と違って決定したら終わりじゃない。その先がある。そしてより優良なものを見つければ乗り換える。

 

現時点で、その頻度が少し高いように感じる。

まだ地盤を固めている最中で不安定な状態なのか、とも思う。まだ比較が足りないのか、それとも今のままでは将来への不安が払拭されないのか。

 

お金のことを考えすぎる人に”がめつい”や”卑しい”という印象を受けてしまうのは間違っているのだろうか。私が楽観的過ぎで、その人くらい考えている方が正常なのだろうか。現時点では結論が出ない。

 

考えること自体少しつらい。お金に関する価値観の違いは致命的なんてよく聞く。そのことが余計に不安を煽る。

また、人はやってるけど自分はやらなくてもいいのか?といった無意味な強迫観念にも駆られる。これもまた不安の種になる。

 

上述のように時間が来れば環境が変わるし、次に会うのはこの転換点の1ヶ月後だ。その転換点で私はその人と何が違うのか、そして何が変わるのかを見極めたい。

英語圏には"A watched pan never boils"(見つめる鍋は煮えない)という諺がある。あと2ヶ月の間ゆっくりと冷まして、その時にまだモヤモヤしてたら、再びその場で話すのが最良の選択だと思いたい。